『サマータイム、青年時代、少年時代──辺境からの三つの〈自伝〉』J.M.クッツェー(くぼたのぞみ訳 J.M.クッツェー) 禺画像]
1月24日
『少年時代』J.M.クッツェー 読了。少年時代の自伝であった。
2月9日
私のクッツェーは、いま22歳でIBM勤めの自称詩人。(『青年時代』)
2月11日
『青年時代』(『サマータイム、青年時代、少年時代』から)J.M.クッツェー 読了。南アフリカからイギリスに逃げだし、苦悩から美を生み出そうと、日々、芸術とセックスに励むプログラマ青年の自己欺瞞にまみれた生活。を還暦のクッツェーが冷徹に戯画化して書く嘘まみれの自伝。でいいのかな?
2月11日
ひとりクッツェー祭り実施中。もう2ヶ月ほどクッツェーしか読んでない。
『夷狄を待ちながら』
『マイケル・K』
『ダスクランド』
『敵あるいはフォー』
『鉄の時代』
『ペテルブルグの文豪(マスター)』
『少年時代』
『恥辱』
『東京総合指令室』
『動物のいのち』
『青年時代』
2月25日
『サマータイム』読んでるけど、ジュリアの語りの微妙な違和感はたぶんジュリア=クッツェーの英語に対する距離感なのかと思うが、違ったらどうしよう。
3月7日
クッツェーの『サマータイム』があと60ページほどで終わってしまう。新しい翻訳が出るのはいつであったか。みんな、クッツェー、読まず嫌いだろう。出来れば処女作の『ダスクランド』から順に読むと、作者の屈折の仕方が妙に律儀で楽しいよ。
3月8日
『サマータイム』J.M.クッツェー 読了。 ここでいつもなら好き勝手な感想をつぶやくところであるが、訳者のくぼたのぞみさんが見ているので変なことは書けない。というわけで、三月うさぎ(兄)は、今朝方、亡くなりましたので、代わって三月うさぎ(姉)がお送りいたします。
3月8日
「兄さんは、この作品をどの位読んでいましたか」
「どうかしら。二、三週間ってところかな。読むのが遅いひとでしたから。たまに、ずっと前の方を読んでたりして気味が悪かったけど。この文章はどこかで見た、とかブツブツ云いながら」
3月8日
「読んでいる時の表情などはどうでしたか」
「そんなの見てるわけないじゃない。だいたい通勤電車で読んでたんだから。ああ、でも、一度だけ大笑いしていた。真剣に読んでると思ったらバカ笑いして。あれ、どんな話なの」
「自伝です」
「コメディアンかしら」
3月8日
「コメディアンではないですが、そうだと言えなくもないです」
「あら、夕食の時間だわ。続きが聞きたいですか」
「できれば。明日はいかがですか」
「明日は兄の葬式だから、あと2時間くらいしたらまた来て」
3月8日
(沈黙)
「あら、いらしたの。なんだか顔色が悪いわね」
「いえ、すこし早まったことをしたかなと後悔していまして」
「このインタビューのことを」
「見られているので」
「見られている…。そう、兄も読みながら、言ってたわ」
3月8日
「どんなことを」
「クッチェー、でしたっけ」
「クッツェーです。ジョン・クッツェー」
「そのクが、自分を書いている自分が見える場所で書いているうちに自分が見られていることに気持ちよくなってきてどうとかって私に説明しました」
3月8日
「どうとか、のところをもう少し詳しく思い出せませんか」
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